史跡めぐり

さまざまな史跡巡り、とくに毛利ファンなので中国地方の旅行記を中心にご紹介していきます。たま〜に史跡とは関係ない近場のプチ旅行、日帰り旅行なども出てきます。

徳川軍と武田軍の戦いの舞台長篠城その2

長篠城址史跡保存館のHPにのっていた史学見学コースにそって周辺を歩いてみました。1時間で周れると書いてあったので、No. 1 鳥居強右衛門コースを選んでみました。

長篠城址のすぐそばにたっている長篠城址史跡保存館が起点になります。長篠城址史跡保存館は、信玄の時代から長篠の戦い、その後の時代のこの地の歴史について、展示解説などを行っています。

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 馬場信房の墓

地図通りに馬場信房の墓にまず向かいます。まず街道に出たほうが看板とかが出てくるのでわかりやすいでしょう。

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街道ぞいに歩いて10分くらいだったと思いますが、看板があります。

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矢印通りにいくと、普通の畑があります。写真左手が馬場信房の墓です。

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馬場信房は武田信玄の譜代大名の一人ですが、勝頼の時代の長篠の戦いでしんがりをつとめ討ち死にしました。

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鳥居強右衛門の墓

次は鳥居強右衛門の墓に向かいます。

長篠城主岡平貞昌はが勝頼軍に包囲され、籠城しましたが落城寸前までになりました。この時、城主の命をうけ、家康のいる岡崎城まで使者として援軍の要請に向かった人物が鳥居強右衛門です。

 

歩いてきた街道に戻りさらにすすみます。

途中豊川という川を渡ります。結構橋が高くて足がちょっとすくみました。

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地図通り、有海という交差点を左に曲がり、新東名をくぐってこの道路沿いに道なりに行きます。新昌寺という寺を目指しましょう。この寺の道路沿いに墓があります。

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 この石碑を見ると平成24年に新東名高速を通すためにここに移築されたようです。徳川方の鳥居強右衛門、武田方4人の5名の墓があります。現代となれば敵も見方も無いということでしょうか。

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 こちらが鳥居強右衛門の墓です。

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こちらが武田方4人の墓です。

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鳥居強右衛門磔の地

鳥居強右衛門は無事に岡崎城までたどり着き、織田信長の軍を含め家康・織田連合軍が長篠に向けて出発する手はずである情報を得て、長篠にすぐ引き返しますが、途中武田軍に捕まってしまいます。強右衛門は見方に「援軍はこない」と叫べば命を助けてやるといわれますが、逆に「2、3日で援軍がくる」と叫んでしまいます。これに怒った武田軍は強右衛門を磔にします。

 

墓をあとにし、さらに新東名高速沿いをすすみます。途中飯田線の踏切にぶつかりますが、その手前に畑が広がる場所があり、この畑の中にあります。

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牛渕橋

飯田線踏切を渡り、しばらく進むと牛渕橋があります。

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牛渕橋から長篠城方面を見ると、中央付近に長篠城が見えます。これを見ると長篠城が川の流れる断崖絶壁に守られた城であることがわかります。

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鳥居駅

来た道を戻り、途中左手に曲がると鳥居駅に到着します。

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このNo. 1 鳥居強右衛門コース、私は1時間15分位でまわりました。電車は1時間に1本ですのでそれも注意しておきましょう。

このようなコースと時間の目安を紹介してくれているのは、この地を初めて訪れる者にとっては助かります。長篠城址史跡保存館の方ありがとうございます。

この後、2つ隣の三河東郷駅に移動し、設楽原の馬防柵の復元の場所や資料館を見たかったのですが時間に余裕がなかったのであきらめました。

次回は、岡崎城を紹介します。

 

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